父と僕/認めるということ

誕生日を迎えた父

先日、父が誕生日ということで、久しぶりにお祝いの電話をしてみました。

その際、

ぼく
父さん最近さ、
何か欲しい物とかない?

と聞いてみたのですが、

別にねえな!
ない

というばかりでなかなか決めてくれません。

ひとまずその場は後で考えておくということで収まりましたが、その声は心なしか上機嫌に聞こえました。

今でこそ温厚でよく笑うようになった印象の父。

僕が子どもだった頃は、嫌いじゃあなかったけど非常にこわーい存在でした。

怖かった父

夜遅くになると決まって

いいかげん早く寝ろ!

とどやされたこと数しれず。

一軒家の1階階段横に僕の部屋があって、両親は2階の部屋で眠っているのだけれど、深夜になってトイレに行くため階段から人が降りてくるのが聞こえることがあります。

ぼく
(やっべ!父さん降りてきた!!)

ここで見つかっては雷が落っこちてしまうので、夜更かし息子は急いで照明もテレビも消して、父が布団に戻るまで、暗闇の中で息を潜めていたものです。

また僕の部屋が散らかっているを見た時、きれい好きの父にはその有様が耐えられないようで、

コラ!!
少しは片付けろ!

と語調強めに言われたのも一度や二度じゃありません。下町育ちで短気な性格も相まって、典型的な江戸っ子って感じでした。

社会に出るようになってからも、実家にいた頃しばらくこの2つは言われ続けていました。

向き合ってくれた父

それまでは単に恐怖の対象という側面が大きかった父ですが、時は経って少しずつ父の認識が変わっていく出来事がありました。

それは高校生の時に両親へ進路の話を、それまで秘めていた僕の夢を打ち明けた時のことです。

ぼく
あのね、卒業後の進路なんだけどさ、
実は将来やりたいことがあってね……

多くの人が歩もうとするような真っ当な人生設計からは程遠い、一笑に付されそうな夢。

ふむ……そうか……

父は怒鳴ったりせず、一度も話を遮ることもなく最後まで聞いてくれました。

しょっちゅう夜更しはするし、ろくに部屋も片付けられない未熟者の息子としてではなく、ちゃんと自分のことを一人の人間として見てくれている。

そうわかって、嬉しかったのを覚えています。

まとめ

そんな親元で過ごしたおかげで、子供時代から現在に至るまで大変だった時期もそれなりにたくさんあったけれど、基本的には心健やかにのびのびと過ごしてこられたと思います。僕は運がいい。

残念ながら世の中には年齢や性別、生まれや能力、その他もろもろで他人のことを格下とみると見下してくるような人も一定数いて、実際そういう話を聞いたこともたくさんある。

でもそれらのものは、相手を見下す理由にはならないと思ってる。いろんなものが自分と違うのは当たり前だからね。

未熟な我が子でも下に見ず同じ人間として向き合ってくれた父のように、どんな人に対してであれ、誠心誠意正面から向き合ってお付き合いしたいと思う次第。

と、久しぶりにここまでブログ書いたと思ったら、約3年ほど前に投稿した最初の記事とほぼほぼおんなじ事を言ってたってここで初めて気づいたよね!あるいみ初志貫徹してるしよいよい(ポジティブ)

赤ちゃん先生に学べ!敬礼!

2018-01-21

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