
友人夫婦のお子さんにごあいさつ
今日は数年ぶりに、かつて共に芝居を学んできた友人夫婦のおうちに遊びに行ってきました。
いつの間にやらお子さんも生まれていたと聞いてびっくり。
まだ1歳にも満たない小さくてぷくぷくした女の子でした。めんこい。
最初は人見知りしてわんわん泣いたりしたけど、1、2時間もしたらもう仲良し。
その場で編み出したちんあなごごっこで一緒に遊んでました。
大人だったら打ち解けるまでに数ヶ月かかったりもするっていうのに、子どもの心の開くスピード、順応性たるやすごいもんだねえ……。
「成長する」とはどういうことか
さて、僕らはこの世に生まれて、子どもからだんだんと大人へと成長してゆきます。
体を育み、頭を鍛え、心を磨いていく……とまあ、順当にそうなっていければ理想的なんだけれどなかなかどうして、全てがうまくいくとは限らない。
特に心なんかは「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、例えば大人だって機嫌が悪いかと思えば実は単に眠いとかおなかが空いてただけだったとか、赤ちゃんと本質的には変わらないなんて事は、世の中いくらでもありますわな。
大人へと成長していくほどに、体や頭はもっともっと使えるようになってくるけれど、その一方で心だけはそこまで変わらない気がするし、むしろ大人になればなるほど固く狭くなり、個人差はあれど多かれ少なかれその柔らかさや順応性は失われていくようにすら思う次第。
それだけに、あっという間に壁をあっさり超えていく子どもの心には、大人になった今感銘を受けずにはいられません。
どっちがえらいわけじゃない
つまり僕が何を言いたいのかといえば。
社会的には子どもより大人の方が強いかもしれないけれど、もっと広い視点から、ひとつの「いのち」という見方をすれば大人だからといって必ずしも子どもより優れた存在ってわけではないってこと。
むしろ得意分野が変わってくるだけでおんなじなんだ!と言いたい。
生まれてくるタイミングがほんの数十年ずれただけなんだよな、と言いたいのです。
個人レベルならまだしも、人類レベルで見れば数十年なんて瞬きみたいなもんですわ。
だからこの世界の新入り達に対してはね、僕は僕らができるバックアップを精一杯しつつ、その心なり、たましいの在り方については逆に真摯に学ばせてもらって、お互いにおんなじ一個人として尊重しあって生きていきたいなあと。
そんなことを赤ちゃん先生のぷにぷにほっぺをつっつきつつ、改めて思ったのでした。
大人になると見失いがちな心の眼で自分自身とその未来を診てほしいという方は、ぜひ月代相談室までご相談あれ。事実上半分くらい子どもみたいな相談員が童心(?)をもって対応致しまする。